私が中学1年の時の尼崎選抜の選考会でのことだった。
同じチームから推薦されていたフジイが、その日の練習会でコーチにずっと指摘され続けていた。普段、コーチにそれ程言われることがないフジイに対して、私は声をかけた。
ゲンタ「フジイ、今日めっちゃ言われてるなぁ~調子悪いんか!?」
フジイは答えた。
フジイ「アホやな、元!!コーチに言われた方が上手くなるやんけ!!!」
私は衝撃を受けた。同じ中学1年生だというのに、何てすごい考え方をしているのだろう・・・。
今でもこの言葉を言われたときのことは鮮明に覚えている。
その頃の私は、コーチに言われる=怒られているという印象しか持っていなかった。だから、コーチに言われるということはよくないことだという概念があったのだ。
しかし、このフジイの一言により、私の考えは180度変わった。
それからの私は、人からの意見やコーチや友達からの指摘などに対して積極的に耳を傾けるようになった。
「全ては自分を成長させてくれるものだ」
そんなことを考えながら喜んで、指摘や意見を受け入れた。
さらに、私は人にも恵まれており、周りには厳しく、そして的確にいろいろなことを言ってくれる人が多かった。
特に大学時代はすごかった。なかなかレベルの高いサッカー部に所属していたため、私の実力はチームでも下の下の方(「いや、お前は一番下やったやんけ」と言われそうだが、そこは下の方と言っておこう)。
そんな私の周りにはサッカーが上手くかつサッカーをよく知った同期、後輩そして先輩たちがゴロゴロいた。
そんな人たちと4年間、練習していたのだが、毎日嵐のような指摘が私に飛んできた。
「ゲンタ、そこはそうじゃないだろ!!」
「ゲンタ、そこはこうやって、こうやんねん!!」
「ゲンタ、そこはそうしても、どうもならんからこうやんねん!!」
「パス出せよ!!」
「ミスんなよ!!」
「ちゃんとせえよ!!」
いやぁ~今思い出しても、指摘の嵐でしたね。しかし、これらのアドバイスがあったからこそ、私は4年間で上手くなれたと思うし、サッカーを少しばかり知ることができ、そしてちょっとばかし精神的に強くなれたのかなとも思う。
一つのミス、一つの判断、一つの考え、一つのプレーに対して、ずっと言い続けてくれた先輩、後輩、同期には今でも感謝している。この「たった一つ」のことに対して、言ってくれることをほどありがたいものはないと思う。
特に「気持ち世代」の先輩には本当によく言われたなぁ~本当にあーざっす!!
そして、そんな4年間を終え、私はエチオピアに来たのだが、宮沢ミッシェル氏(私のブログにはよくこの人が登場しますが知らない人は過去のブログを参照してください)が来エチしてくれた時にあることを言ってくれた。
ミッシェル「ゲンタにいろいろ言ってくれる人がいないのが痛いな」
そう、私の周りには青年海外協力隊の仲間やエチオピア人体育教師の同僚がたくさんいるのだが、大学時代とは違い私に対して厳しくそして的確に意見や指摘をしてくれる人が少ないのが現状だ。人に頼らず、自分で良い点も悪い点も見つけて、自分で考えていけということなのかもしれない。
逆にエチオピアに来て私は、「言われる立場」から「言う立場」になった。
言語がなかなか達者になった今では、生徒や教師、同僚はもちろん、校長や副校長、そして日本人の協力隊の仲間に対しても思っていることを遠慮せずに伝えている。
大学時代に指摘するべきところでできず、物凄く後悔したことがあり、また一人の女性に厳しく指摘され、私の考え方・行動の全てが良い方向に変わることができたので、「言うことの大切さ」を知り、言っていこうという考えになった。その女性にも本当に感謝している。ありがとう。
そして最近思ったことがある。「指摘する」という行為は、自分ができていないとできない行為ではないかと。自分ができていなければ、人に対して言うことはできないし、言う資格もない。
できていない人に指摘されても、何の説得力もないし、言われた人も悪口に感じてしまうだろう。
「指摘する」ということは責任ある行為のもと、できることである。
さらに、私は考えた。
最近、クラブの子どもたちや生徒に対して口うるさく「走れ!」「声出せ!」「時間守れ!」「挨拶しろ!」「助け合え!」と偉そうに言っているが、果たして自分はそれら全部できているのか!?
自分で口うるさく指摘しているが、これは人に対して指摘していると同時に自分に対しても指摘ではないのか!?
「人に対しての指摘は自分に対しての指摘でもある」
このことを考えていると自分の行動や考え方を見直す良いきっかけとなった。
最後に先々週、母親と父親がエチオピアに来てくれた。
1年4ヶ月ぶりの再会にものすごく感動し、親の偉大さと愛情を感じた。
スーパーマン(スーパーで働くおじさんのことを英語の直訳で“スーパーマン”と呼ぶ)で休みが取れないにも関わらず、意地を見せて1週間休んでくれ、エチオピアに来ては毎日旨そうに酒を飲み、腹を壊し、「ニーハオ」という声に対しても中国人でもないのに「ニーハオ」と明るく答え、帰国前日に約2mの穴に落っこちて歩くのが辛いほどの捻挫をして帰ったおとう、本当にありがとう!!足治った!?
※最新の情報では、父はくるぶしを骨折していたらしい・・・。

おとんの休みが取れなくても、「私は一人でも行く」と言ってくれ、インジェラが苦手だった時のために日本からカップラーメンを持ってきていたにも関わらず、アジスアベバに預ける荷物に入れてしまい、旅行中は全く食べられず、案の定インジェラが苦手で食べ物には相当苦労したおかぁはん、本当にありがとう!!日本の飯は旨いでしょう!

本当にありがとう!!楽しかったです!!
そして、家族って良いね!!

エチオピアに馴染む父と母

まさにファミリー!!

何なんだ、このポーズ!?

同じチームから推薦されていたフジイが、その日の練習会でコーチにずっと指摘され続けていた。普段、コーチにそれ程言われることがないフジイに対して、私は声をかけた。
ゲンタ「フジイ、今日めっちゃ言われてるなぁ~調子悪いんか!?」
フジイは答えた。
フジイ「アホやな、元!!コーチに言われた方が上手くなるやんけ!!!」
私は衝撃を受けた。同じ中学1年生だというのに、何てすごい考え方をしているのだろう・・・。
今でもこの言葉を言われたときのことは鮮明に覚えている。
その頃の私は、コーチに言われる=怒られているという印象しか持っていなかった。だから、コーチに言われるということはよくないことだという概念があったのだ。
しかし、このフジイの一言により、私の考えは180度変わった。
それからの私は、人からの意見やコーチや友達からの指摘などに対して積極的に耳を傾けるようになった。
「全ては自分を成長させてくれるものだ」
そんなことを考えながら喜んで、指摘や意見を受け入れた。
さらに、私は人にも恵まれており、周りには厳しく、そして的確にいろいろなことを言ってくれる人が多かった。
特に大学時代はすごかった。なかなかレベルの高いサッカー部に所属していたため、私の実力はチームでも下の下の方(「いや、お前は一番下やったやんけ」と言われそうだが、そこは下の方と言っておこう)。
そんな私の周りにはサッカーが上手くかつサッカーをよく知った同期、後輩そして先輩たちがゴロゴロいた。
そんな人たちと4年間、練習していたのだが、毎日嵐のような指摘が私に飛んできた。
「ゲンタ、そこはそうじゃないだろ!!」
「ゲンタ、そこはこうやって、こうやんねん!!」
「ゲンタ、そこはそうしても、どうもならんからこうやんねん!!」
「パス出せよ!!」
「ミスんなよ!!」
「ちゃんとせえよ!!」
いやぁ~今思い出しても、指摘の嵐でしたね。しかし、これらのアドバイスがあったからこそ、私は4年間で上手くなれたと思うし、サッカーを少しばかり知ることができ、そしてちょっとばかし精神的に強くなれたのかなとも思う。
一つのミス、一つの判断、一つの考え、一つのプレーに対して、ずっと言い続けてくれた先輩、後輩、同期には今でも感謝している。この「たった一つ」のことに対して、言ってくれることをほどありがたいものはないと思う。
特に「気持ち世代」の先輩には本当によく言われたなぁ~本当にあーざっす!!
そして、そんな4年間を終え、私はエチオピアに来たのだが、宮沢ミッシェル氏(私のブログにはよくこの人が登場しますが知らない人は過去のブログを参照してください)が来エチしてくれた時にあることを言ってくれた。
ミッシェル「ゲンタにいろいろ言ってくれる人がいないのが痛いな」
そう、私の周りには青年海外協力隊の仲間やエチオピア人体育教師の同僚がたくさんいるのだが、大学時代とは違い私に対して厳しくそして的確に意見や指摘をしてくれる人が少ないのが現状だ。人に頼らず、自分で良い点も悪い点も見つけて、自分で考えていけということなのかもしれない。
逆にエチオピアに来て私は、「言われる立場」から「言う立場」になった。
言語がなかなか達者になった今では、生徒や教師、同僚はもちろん、校長や副校長、そして日本人の協力隊の仲間に対しても思っていることを遠慮せずに伝えている。
大学時代に指摘するべきところでできず、物凄く後悔したことがあり、また一人の女性に厳しく指摘され、私の考え方・行動の全てが良い方向に変わることができたので、「言うことの大切さ」を知り、言っていこうという考えになった。その女性にも本当に感謝している。ありがとう。
そして最近思ったことがある。「指摘する」という行為は、自分ができていないとできない行為ではないかと。自分ができていなければ、人に対して言うことはできないし、言う資格もない。
できていない人に指摘されても、何の説得力もないし、言われた人も悪口に感じてしまうだろう。
「指摘する」ということは責任ある行為のもと、できることである。
さらに、私は考えた。
最近、クラブの子どもたちや生徒に対して口うるさく「走れ!」「声出せ!」「時間守れ!」「挨拶しろ!」「助け合え!」と偉そうに言っているが、果たして自分はそれら全部できているのか!?
自分で口うるさく指摘しているが、これは人に対して指摘していると同時に自分に対しても指摘ではないのか!?
「人に対しての指摘は自分に対しての指摘でもある」
このことを考えていると自分の行動や考え方を見直す良いきっかけとなった。
最後に先々週、母親と父親がエチオピアに来てくれた。
1年4ヶ月ぶりの再会にものすごく感動し、親の偉大さと愛情を感じた。
スーパーマン(スーパーで働くおじさんのことを英語の直訳で“スーパーマン”と呼ぶ)で休みが取れないにも関わらず、意地を見せて1週間休んでくれ、エチオピアに来ては毎日旨そうに酒を飲み、腹を壊し、「ニーハオ」という声に対しても中国人でもないのに「ニーハオ」と明るく答え、帰国前日に約2mの穴に落っこちて歩くのが辛いほどの捻挫をして帰ったおとう、本当にありがとう!!足治った!?
※最新の情報では、父はくるぶしを骨折していたらしい・・・。

おとんの休みが取れなくても、「私は一人でも行く」と言ってくれ、インジェラが苦手だった時のために日本からカップラーメンを持ってきていたにも関わらず、アジスアベバに預ける荷物に入れてしまい、旅行中は全く食べられず、案の定インジェラが苦手で食べ物には相当苦労したおかぁはん、本当にありがとう!!日本の飯は旨いでしょう!

本当にありがとう!!楽しかったです!!
そして、家族って良いね!!

エチオピアに馴染む父と母

まさにファミリー!!

何なんだ、このポーズ!?

# by genta_ishibe87 | 2011-11-19 00:20