Moral
質問:試験中、カンニングしている生徒を見つけたとします。あなたならどうしますか?
私はこの2年間、ドルベテ中・高校の試験において、1日平均3人のカンニングしている生徒を見つけてペナルティーを与えてきた。テストは1週間続けて行うため、2年間でおよそ100人あまりの生徒をカンニングでつかまえてきた。
それほどエチオピアの生徒はカンニングをよくする(生徒数が多すぎるため3人が一つの長いすに腰掛けているという状況もあり、見たくなくても見えてしまうという状況もあるのだが・・・)。
エチオピアでの最後のテストになるでと思われる今週、私は試験官を外されていた。
前回の中間テストでカンニングしている生徒をいつも以上につかまえたため、学校側が私を試験官から外したのか!?と勝手な妄想をしていたが、ただ単に体育の実技のテストを受けていない生徒に対し、テストを優先的にしろということだったらしい。
最後にカンニングしている生徒をつかまえる自己新記録でも作ろうと思っていただけに残念だ。
ただ、いつもカンニングしている生徒を見つけ、回答用紙を取り上げたり、マイナスのサインをしたり、校長室に連れて行ったりしている時に思うことがある。
「何でカンニングをしてはいけないのだ?」
一人の生徒がカンニングをしたからといって、私に迷惑がかかるわけでもない。ましてカンニングされた方にも迷惑はかからない。
彼の点数が1点2点良くなったところで、私をはじめ周りの人間にとってはどうでもいいことだ。
松本人志は言う、
「ゴールは試験をすることではなく、ものを覚えることだ。カンニングしてでも、ものを覚えたらそれでええやないか」
むちゃむちゃ言うな、このおっさんは・・・。
試験中、いつも「カンニングはなぜいけないのか?」ということを考えていた。
はっきりした答えがいつも見つからずにいたが、カンニングした生徒に対しては容赦なしにペナルティーを与えてきた。
なぜか?
完璧にカンニングした生徒を見つけたとき、ものすごく「やったった感」があるから。
最低ですね。
「髪を染める」「眉毛をそる」「電車で化粧をする」「勉強をしない」「カンニングをする」etc
「人に迷惑をかけない」行為
最近読んだ本にこう書いてあった。
「法律のレベル」
「道徳のレベル」
「美学のレベル」
「法律のレベル」は違法性があることに関してはしてはいけないと規定され、「道徳のレベル」は「たとえ法律に違反していなくても、他人に迷惑や危害を与えることはしてはいけない」というレベルのこととあった。
(反「道徳」教育論 「キレイゴト」が子供と教師をダメにする! 山口意友 PHP新書)
それに次ぐ「美学のレベル」が要するに、「カンニングをしてはいけない」「髪は染めてはいけない」といったことになってくると考えられる。
何を「己の美学」とし、何を大切にするか、そして何を「目標」とするのか。
それによって、自分の行動規範が変わってくるのではないだろうか。
今考えれば、サッカー部に対して「規律」「規範」「道徳」「モラル」「人間性」などなど、やいやいやいやい、言い続けてきた。
これらも完全に私が考える「己の美学」だったのかなと思う。
大事なのは生徒が私の言い続けてきたことから、何が大切で何をしていかなければいけないかを考え、見つけ、行動していくことなのだろう。
ただ、これだけ「規律」や「モラル」と言っているが、マンチェスター・シティのバロテッリはなぜか応援していた。
あのめちゃめちゃな選手を使うロベルト・マンチーニはもっと応援した。
「才能とは継続して努力し続ける力」 by羽生義治

ヘディング大事ですね!!本当に・・・。

ベスト・オブ・ピクチャーin Ethiopiaにしましょう!!

己の美学とは・・・。

私はこの2年間、ドルベテ中・高校の試験において、1日平均3人のカンニングしている生徒を見つけてペナルティーを与えてきた。テストは1週間続けて行うため、2年間でおよそ100人あまりの生徒をカンニングでつかまえてきた。
それほどエチオピアの生徒はカンニングをよくする(生徒数が多すぎるため3人が一つの長いすに腰掛けているという状況もあり、見たくなくても見えてしまうという状況もあるのだが・・・)。
エチオピアでの最後のテストになるでと思われる今週、私は試験官を外されていた。
前回の中間テストでカンニングしている生徒をいつも以上につかまえたため、学校側が私を試験官から外したのか!?と勝手な妄想をしていたが、ただ単に体育の実技のテストを受けていない生徒に対し、テストを優先的にしろということだったらしい。
最後にカンニングしている生徒をつかまえる自己新記録でも作ろうと思っていただけに残念だ。
ただ、いつもカンニングしている生徒を見つけ、回答用紙を取り上げたり、マイナスのサインをしたり、校長室に連れて行ったりしている時に思うことがある。
「何でカンニングをしてはいけないのだ?」
一人の生徒がカンニングをしたからといって、私に迷惑がかかるわけでもない。ましてカンニングされた方にも迷惑はかからない。
彼の点数が1点2点良くなったところで、私をはじめ周りの人間にとってはどうでもいいことだ。
松本人志は言う、
「ゴールは試験をすることではなく、ものを覚えることだ。カンニングしてでも、ものを覚えたらそれでええやないか」
むちゃむちゃ言うな、このおっさんは・・・。
試験中、いつも「カンニングはなぜいけないのか?」ということを考えていた。
はっきりした答えがいつも見つからずにいたが、カンニングした生徒に対しては容赦なしにペナルティーを与えてきた。
なぜか?
完璧にカンニングした生徒を見つけたとき、ものすごく「やったった感」があるから。
最低ですね。
「髪を染める」「眉毛をそる」「電車で化粧をする」「勉強をしない」「カンニングをする」etc
「人に迷惑をかけない」行為
最近読んだ本にこう書いてあった。
「法律のレベル」
「道徳のレベル」
「美学のレベル」
「法律のレベル」は違法性があることに関してはしてはいけないと規定され、「道徳のレベル」は「たとえ法律に違反していなくても、他人に迷惑や危害を与えることはしてはいけない」というレベルのこととあった。
(反「道徳」教育論 「キレイゴト」が子供と教師をダメにする! 山口意友 PHP新書)
それに次ぐ「美学のレベル」が要するに、「カンニングをしてはいけない」「髪は染めてはいけない」といったことになってくると考えられる。
何を「己の美学」とし、何を大切にするか、そして何を「目標」とするのか。
それによって、自分の行動規範が変わってくるのではないだろうか。
今考えれば、サッカー部に対して「規律」「規範」「道徳」「モラル」「人間性」などなど、やいやいやいやい、言い続けてきた。
これらも完全に私が考える「己の美学」だったのかなと思う。
大事なのは生徒が私の言い続けてきたことから、何が大切で何をしていかなければいけないかを考え、見つけ、行動していくことなのだろう。
ただ、これだけ「規律」や「モラル」と言っているが、マンチェスター・シティのバロテッリはなぜか応援していた。
あのめちゃめちゃな選手を使うロベルト・マンチーニはもっと応援した。
「才能とは継続して努力し続ける力」 by羽生義治

ヘディング大事ですね!!本当に・・・。

ベスト・オブ・ピクチャーin Ethiopiaにしましょう!!

己の美学とは・・・。

by genta_ishibe87 | 2012-05-20 21:04