人気ブログランキング | 話題のタグを見る

Society

「元ちゃんは社会経験してないからなぁ~」

と私はよく言われる。
協力隊員になる人は凄い経験を今までにしてきた人が多いような気がする。
私は、日本社会でいろいろな経験をして、活躍してきた隊員の人たちにいつも感心させられている。

日本社会で今まで戦ってきた隊員の人たちは、日本での社会経験がない私によく日本での経験を話してくれる。

「いや、日本は本当にしんどいよ」
「日本は厳しいからね」
「日本社会に戻ると考えたらぞっとするわ」

隊員の人たちは本当に人間的にも凄い人が多く、知識や行動力があり、何よりも常に学ぼうという向上心を持っている。
私はそんな隊員の人たちを心から尊敬し、常にこの人たちから学ぼうという意識で関わっている。

しかし、そんな尊敬すべき隊員の人たちが口をそろえて言う、「日本社会」とはいったいどんな世界なのだ!?

そんなにも厳しく、きつい世界なのか!?日本社会にはいったい何があるのだ!?

そして、私はいつも思う。そんなにも厳しいと言われる「日本社会」を早く肌で感じたい。
隊員の人たちが、日本の厳しさを語ってくれる度に、「早くめっちゃ厳しいと言われる日本社会の中で仕事がしたい!!」と思う。

ただ、今はそれ以上に「学びたい」という気持ちの方が強いんですけどね。


最近、2人の日本人と会う機会があった。
1人は日本社会で地位も名誉も金も手に入れている人で、
「仕事に楽しみや喜びなどいらない。そんな奇麗事言っていたら日本社会でつぶされるぞ!!!」と言っていた。

もう一人はオランダで研究を仕事にしている人で、「自分のやりたいこと」と「仕事として求められていること」が合致していた。
その人の目をキラキラ輝いていた。

人それぞれいろいろな生き方があるのだなと勉強させられた。
ただ、私はどんな仕事に就こうと一生その仕事に「情熱」を持ち続けるということは断言しておく。

情熱つながりで、私の神友(神がかっている友達)も、日本社会で自分の夢を一つ叶え、また更に厳しい世界に挑戦しようとしている。
彼の頑張り、彼の活躍、そして彼の情熱と魂がいつも私を熱くさせ、チャレンジさせてくれる。本当に心から感謝したい。

ありがとう。そしておめでとう!!

厳しい日本社会で仕事をすることは凄く楽しみであるが、それ以上に彼との再会、彼との熱く語り合う飲み会が何よりも楽しみである。

2002年のW杯で流行ったロナウドカット。エチオピアではこれが普通。
Society_d0178633_6125775.jpg


私の協力隊生活の全てを賭けたプロジェクトを水面下でスタートさせた。
これが成功すれば、エチオピアの歴史に名を刻むだろう!!!と思う・・・。
Society_d0178633_634786.jpg


私の協力隊生活の全てを賭けたプロジェクト②を水面下でスタートさせた。
どんだけ全てを賭けるのか・・・。
Society_d0178633_6374658.jpg

# by genta_ishibe87 | 2011-10-08 06:39  

Life

エチオピアにはコーヒーセレモニーという文化がある。
このコーヒーセレモニーはコーヒー豆を炒るところから始まる。
コーヒーセレモニーの時はたくさんの人が集まり、一緒にコーヒーを飲む。
基本的に3回入れてくれるので一回のコーヒーセレモニーで3杯飲む。

セレモニーと言っているから特別な日だけあるようなイメージだが、私のコンパウンド(同じ家の敷地)のケースで言うとほぼ毎日行われる。
要するに文化である。

また、最近ではトゥルとハヤットという親子が同じコンパウンドに来たため、大家とトゥル家とそれぞれ一回ずつコーヒーセレモニーをしてくれる。よって私は毎日6杯はコーヒーを飲んでいる。
さらに、このコーヒーセレモニーは始まってから終わるまでおよそ1時間半ぐらいかかる。
したがって、最近の私は一日の3時間はコーヒーを飲んでいるということになる。

しかし、私はこのコーヒーセレモニーの時間が大好きだ。
夜はいつも自分の家で勉強や作業をしながら、「コーヒーセレモニー来い来い来い」と願っている。

すると、

「ゲンター!!ブンナ(コーヒー)!!タッタ(飲め)!!!!

と声がかかる。私は心の中でガッツポーズをしながら、

「マットォー(今行く)!!」

と言う。ただ、忙しい時は「今日はいらんなぁ~」と言いながら行く時もあるのだが・・・。


では、なぜ私はこのコーヒーセレモニーの時間が好きかと言うと、理由は2つある。

1つ目はただ単純にエチオピアのコーヒーが好きということ。

2つ目はこの家族(近所の家も含めた)の団らんが好きであるということ。
家族はいつもくだらない話から真剣な話までダラダラとコーヒーを飲みながら話す。

カス(大家の奥さん)は産まれたばかりのタマスガン(三男)にお乳をあげながら、やんちゃをしまくるアビナザル(次男)を怒鳴りつける。
アタレ(大家)はそんなアビナザルを煽り、さらにやんちゃさせようとする。
カスはさらに怒る。
アビナザルが泣く。
マスティ(大家の妹)はそれを見てゲラゲラ笑う。

こんなことを繰り返しながら、我々は3杯のコーヒーを飲む。

ここには、毎日愛があり、子どもたちへの希望があり、そして夢がある。コーヒーも。
この時間、このコミュニティは本当にすごく大切だと私は思う。
日本でこの時間があればどれだけ素敵だろうか。

いや、持ち帰ろう。良い文化を真似し合うことは重要なことだ。


この文化が日本にもあれば、日本の自殺件数も少しは減るのではないだろうかと思った。
なぜ、自殺の話をしたかというと、先日ドルベテの先生が学校のトイレで首を吊って自殺した。「自殺」「死」について考えさせられた。
自殺だけは絶対にしてはいけない。
子どもを抱く親の顔を見ればその理由はわかるはず。



強くなろう!!!

コーヒーセレモニーをしてくれるカス
Life_d0178633_15355395.jpg


タムスガンくん 4か月」
Life_d0178633_15365093.jpg


家族
Life_d0178633_15374121.jpg

# by genta_ishibe87 | 2011-10-01 15:37  

Good bye & Welcome

5日間で合計40時間におよぶ会議・・・。
会議の内容は「どうすれば生徒の成績が向上するのか?」「エチオピアの教育の質を向上させるためには?」「2004年度(エチオピア暦)の教育の仕方は?」などなど。

エチオピアの先生はこれらの内容をひたすら話し合し、ひたすら校長の話に耳を傾ける。
一日8時間・・・。

去年の私はアムハラ語が全くわからなかっため、校長の「帰っていいぞ」という甘い言葉に従って帰っていたが、今年も去年同様アムハラ語は皆無なのだが、一日8時間×5日間という厳しい環境を経験しようと参加してみた。

内容はさっぱりのため、会議終了と同時に同僚のスマチョウにいつも聞きに行った。

ゲンタ「さっきの会議の内容は何だったんだ?」

スマチョウ「生徒のテストの結果を10㌫向上させるためには我々はどうするべきか?という内容だ」

ゲンタ「なるほど。で、結論は何だったんだ?」

スマチョウ「ハードワークだ」

(別の日)

ゲンタ「さっきの会議の内容は何だったんだ?」

スマチョウ「エチオピアの教育の質を上げるためにはどうすべきか?という内容だ」

ゲンタ「なるほど。で、結論は何だったんだ?」

スマチョウ「ハードワークだ」

これが5日間続いた・・・。

4日目の同じような内容を話し合っていた時、痺れを切らした私は(と言っても会議中ずっと自分の勉強をしていて話を聞いていないのだが・・・)、一言言ってやった。

「学校をきれいにしよう。教室がきれいなら生徒の意識もテストの結果も共に上がっていくだろう!!だからみんなで学校をきれいにしようではないか!!」

カルロス・ゴーンが日産を立てなおした本を今まさに読んでいる私は、完全に経営者気取りで発言していた。
自分でもかっこつけすぎたかと思ったが、150人あまりの先生たちは、大興奮し割れんばかりの大拍手をしていた。

「ゲンタ、お前の考えはもっともだ!!」
「お前の意見は全ての先生が受け入れた」
「みんなで学校をきれいにしよう」

とは言っていたものの、何もしない可能性は大いに高いので、何としても口だけで終わらないように私が主体になり行動していきたい。

ふと教室がきれいな生徒と教室が汚い生徒のテストの結果の変化(前年度と実験後)を見比べて教室環境がおよぼすテスト結果への影響というタイトルで卒業論文を書いたらおもしろいのではないかと変なことを考えていた。
ま、絶対にしませんけどね。

また、最近は別れがたくさんあった時期だった。

エチオピアに来て最もお世話になった隊次である21年度2次隊の3人(さるさん、わかさん、マサカズさん)がもうすぐ日本に帰国。

一年間同じコンパウンドで生活していた私の教育係り的なおばちゃん、トグゥスト、その子どもたち、ミタ、サムエルは仕事の関係でバハルダールに。

同じ体育教師で同じ年齢でサッカーをよく一緒にし最も仲の良かったアビィは、社会人チームでエチオピアチャンピオンになり今年度からナショナルリーグ(プロ2部)に昇格したため、先生を辞めプロサッカー選手に。

We are the World FCの絶対的エースであったソロモンは親父の家で暮らすことになり、バハルダールへ。ただ、別れの時彼は私に言ってくれた。
「将来はサッカー選手になる」と。
将来の夢はと聞いても、ほとんどの子どもたちがドクターかエンジニアと答える中、この答えは私のテンションとモチベーションをものすごく上げてくれた。

人生は出会いの数だけ別れがあり、別れの数だけ出会いがある。
彼らとはしばしの別れになるが、我が家には新たな出会いであるタマスガン君が・・・。
家に帰って彼の顔を見るのが最近の楽しみの一つである。

http://worldreporter.jica.go.jp/j22-1isibe/cat1/001111.php
こっちのブログも、もしよければ!!

若さん(写真中央)には、よく怒られたけど、天ぷらや焼き肉パーティーをしいただいたり、そして何より標高5000m以上の所では、歌ったり叫んだりしてはいけないことを教えていただきました。
本当に2年間お疲れ様でした。そしてありがとうございました。
Good bye & Welcome_d0178633_4195970.jpg


マサカズの兄貴(写真中央)には、本当にお世話になった。もっともお世話になった先輩隊員と言っても過言ではない。この人がいてくれたから体育隊員として協力してセミナーができたと思うし、何よりも私の一つの目標であったサッカーリーグが開催ができたのもこの人のおかげだった。
本当に2年間お疲れ様でした。そしてありがとう!!絶対熊本に行きます。
Good bye & Welcome_d0178633_424886.jpg


さるさん(写真の変な顔の人)には、人生の生き方を教えてもらった。この人がいてくれたから、キリマンも南部旅行もラスダシェンも本当に楽しめた。「自分で全部すれば誰にも文句言われないでしょ」この言葉は最高にかっこよかったっす。さるさんがまだまだチャレンジしているのだから、僕ももっともっと追い込んでいきますよ!!
本当に2年間お疲れ様でした。そしてありがとうございました!!ロンドン遊びに行きますね!!金が貯まれば・・・。
Good bye & Welcome_d0178633_4281020.jpg


3人に送ります。最近写真を勉強してる僕からのベストショット!!
Good bye & Welcome_d0178633_436758.jpg

# by genta_ishibe87 | 2011-09-24 04:37  

Midnight Express⑤

「最終話 ナイロビを満喫する」
午前6時半、私はナイロビの町をさまよっていた。
ケニア旅行ラスト1日と半日ということで、この日は唯一日本人と接することができる日であった(当初の予定では)。

NTC時代の友であるユーヘイを中心に、ケニアで働く日本人が毎週行っているというサッカーに参加さしてもらうことになっていた。

まず、ナイロビの中心街からJICA御用達のチャーリーというタクシードライバーを呼びよせ、ドミトリーまで行くことに。ケニア一日目にもチャーリーのタクシーに乗せてもらっていたため、チャーリーの顔は把握していた。
しかし、いくら待ってもチャーリーは来ない・・・。

「さすがに6時半は早すぎたか・・・。」
と思っていたその時!!!
一本の電話が入り、側にいるということがわかった。

助かったと思い、それらしきタクシーに近寄ったが、チャーリーではない。
あたりを見回しても、チャーリーがいる気配がなかったので、改めて電話しようとしたその時!!

ドライバー「おい!!俺はチャーリーの手下だ!!知ってるだろ!!早く乗れ!!」

ゲンタ「知るか!!そんなもん!!」と言いながら、タクシーに乗った。


さて、完全に今のは余談であったが、ケニアのサッカーを体験してきた。
日本人のコミュニティーでサッカーができるっていうのも、すごいと思っていたが、できるだけでなくみんなかなり上手かった。
なぜサッカーができる日本人がこんなにケニアに集まっているのか不思議で仕方なかった・・・。

そのサッカーには、二人のケニア人が混じっていた。「ケニア人と一緒にサッカーをする」ということをこの旅の目標にしていたため、一緒にできてよかったのだが、一人のケニア人は元プロ選手だったらしいという情報を得た。
しかし、いつもは日本人をなめて本気でプレーしないという情報も同時に得た。

ということで、絶対に本気を出さしてやろうと勝手に一人熱くなっていた私は、そのボブマーリンのような元プロを徹底的にマークすることに。
日本に帰ったら社会人兵庫県一部リーグで現役復帰を企んでいる私は、正直バリバリ動けていた。そんな私のいやらしいマークに、ボブは完全にイライラしていた。

「ダハハハハハ、ざまあみろ!!元プロ!!兵庫県一部のレベルをなめるなよ!!」と思っていたその時、

顔面に当たったら絶対に気絶するかのような弾丸シュートを決められた・・・。

試合後、一応そいつに言っておいた、

「やるやん」と・・・。


サッカーが終わった後、一度ドミに帰った後はまさかの午後からバスケットボールに・・・。
ケニア隊員の充実しすぎているスポーツの機会に感謝しながら、バスケットもとことん楽しんだ。

久しぶりに一日中スポーツをし、ドミに帰ったら、一人の男が迷い込んでいた。

私が一人旅をしようと思ったきっかけの人物である、エチオピア隊員の松岡リーダー(40)だった・・・。

「任国外旅行ぐらいは全部一人でしようと思いまして・・・。」

とかっこよく言っていたリーダーだったが、ケニア旅行一日目にして完全に日本人に頼っていた。

結局、その後リーダーと晩飯を食いに行き、私の影ながらにして一番の楽しみでもあったカ○ノにも一緒に行った。

ギャンブルが全く好きでない私がカジ○にどうしても行きたかったというと理由は3つある。

1.何事も勝負ごとは絶対に勝つという理論のもと、自分の勝負強さを試す。
2.将来、人に何かを教える立場になったときの話題を作る。
3.橋本府知事の気持ちを知る。

という3つの裏には、ただ単に「カジ○に行ってきたぞ、とみんなに言いたかった」という思いも含まれている。

しかし、ギャンブルは基本的にはしない私だが、カジノの魅力を知ってしまった。なぜ、カジノが儲けを出し、人を惹きつけるのか。

「勝てば嬉しいし、負ければ悔しい」

人の心理というものはこういうことなんだと感じた。
「勝てば嬉しいし、負ければ悔しい」だからまたやる。
スポーツも同じことが言えるのではないだろうか。単純に勝てば嬉しいからまた勝ちたい。負ければ悔しいから次は勝ちたい。だから多くの人が心を奪われ、一生懸命になり、感動が生まれ続けるのだろう・・・。

そんなことを考えていたケニアの最後の夜は、気がつけば夜中の3時だった・・・。


ただ、ちゃっかり勝ったけどね!!


あとがき
長々と好評でもない連載ブログ小説「Midnight Express」を読んでいただき、ありがとうございます。なぜ、このような小説風にしたかといいますと映画「南極料理人」を最近観まして、「これはいけるんじゃないかな」とものすごい甘い考えが私の中に芽生えたからです。ぜひ「南極料理人」を観て、私が何を言いたかったか悟ってください。
ただ、ケニアは間違いないですよ!!

元プロを徹底的にマークする石部隊員
Midnight Express⑤_d0178633_0331128.jpg


元プロは確かに上手かった・・・。
Midnight Express⑤_d0178633_035546.jpg


スポーツ万能かつ大好きなケニアで働く日本人のみなさん
Midnight Express⑤_d0178633_0372580.jpg


最後の晩餐はこれでしょう!!
Midnight Express⑤_d0178633_0395100.jpg


飛行機の時間がギリギリだっただが、どうしても食いたかったので食べに行ったケーキ
Midnight Express⑤_d0178633_0404150.jpg

# by genta_ishibe87 | 2011-09-16 00:42  

Midnight Express④

「第4話 ツァボ→ワタム→マリンディー→モンバサの旅」
まさかの深夜特急がモンバサまで行かなかったため、貴重な一日を失った私は、ケニアの○山隊員の協力により、急遽予定を変更し、人生初のサファリツアーに行くことに!!

ケニアの○山隊員とまーさんとまっちゃんと4人で「ツァボイースト」に行ってきた。
犬も猫も絶対に触りたくないぐらい動物嫌いな私だが、ケニアの本物の野生の動物たちを前にして、興奮しないわけにはいかなかった。
ライオン、ヒョウ、キリン、ゾウ、バッファロー、シマウマ、鹿系の動物、鹿系の小動物などなど。

野生の中で必死に生きている動物たちを見て、何かを感じようとしたが、興奮し続けてしまっていたため、何かを感じることを忘れてしまっていた・・・。

午後は、MISIAがPV撮影で使ったといわれているムダンダロックに行ってきた。
あまりの景色の良さに、アフリカを肌で感じることができた。

そして、そこから私の怒涛の日程がスタートした。
次の日にワタムの海に行き、高級リゾート地(自分では高級リゾートと思っていたが、全くそうではなかった)に泊まり、人生初の沖まで歩いていけるという海に入り、一人シュノーケリングをした。
しかし、常にみんなといることを好む私にとっては、一人の海は少しつまらないかなと思うかなと思っていたが、全くもってそんなことはなかった。
一人だが、そこには現地のケニアのおっちゃんや、ビーチでサッカーをしている少年たち、そして、純粋にサッカーを教えてくれと言ってくる少年もいる(ただ、その少年は最後に「ボールを買ってくれ」とお決まりの台詞を忘れなかったが・・・)。
一人のようで一人でなかった。

次の日の早朝、朝日を撮影しようと海岸に出た。
すると、そこには一人のイタリア人の女の子が朝日をじっと見つめていた。
大学2年の時、イタリア人がシェフのイタリアンレストランでバイトをしていた私は、並みの日本人より、イタリア語が話せるため、全く用はなかったが彼女に話しかけた。

「絶対にイタリアに旅に行こう」

とその瞬間思った。
その日は、別に好きでも嫌いでもないヘビ園に行き、マリンディーの海に行き、ボロ宿にチェックインしに行った。

そこで現れたのは、またもやモリゾーだった。

完全一人旅だったはずだが、なぜか日本人を引き付けていた。

「マジ、マグネットだし(日本人を引き付けると言う意味)!!」

とミツル姉さんが言っていたのを思い出した。
結局、その後モリゾーを海に行き、夜はマリンディーの隊員とモリゾーが一緒に飯を食うということで、JOINさしてもらった。

その次の日は、別に好きでも嫌いでもないワニ園に行き、モンバサの海に行き、昨日のモリゾーの流れのまま、○山隊員とモンバサの隊員であるみどりちゃんが晩御飯に誘ってくれたため、JOINさしてもらった。

結局、「ケニア旅行~一人で行かなきゃ意味ないじゃん~」の旅は残すところ一日と半日になったのだが、この日までに日本人と絡まなかった日は0日だった・・・。


あえてのシマウマの写真公開
Midnight Express④_d0178633_15345341.jpg


ムダンダロック
Midnight Express④_d0178633_15361770.jpg


1人でも海を満喫できる男
Midnight Express④_d0178633_1537201.jpg


どこでもサッカー
Midnight Express④_d0178633_15383943.jpg


趣味がない私はこの旅からカメラを趣味に・・・
しかし、この旅一番の写真は結局オートマ・・・。
Midnight Express④_d0178633_15393870.jpg


夕日と思いきや、朝日の写真
Midnight Express④_d0178633_1544055.jpg

# by genta_ishibe87 | 2011-09-09 15:44