<   2011年 09月 ( 5 )   > この月の画像一覧

 

Good bye & Welcome

5日間で合計40時間におよぶ会議・・・。
会議の内容は「どうすれば生徒の成績が向上するのか?」「エチオピアの教育の質を向上させるためには?」「2004年度(エチオピア暦)の教育の仕方は?」などなど。

エチオピアの先生はこれらの内容をひたすら話し合し、ひたすら校長の話に耳を傾ける。
一日8時間・・・。

去年の私はアムハラ語が全くわからなかっため、校長の「帰っていいぞ」という甘い言葉に従って帰っていたが、今年も去年同様アムハラ語は皆無なのだが、一日8時間×5日間という厳しい環境を経験しようと参加してみた。

内容はさっぱりのため、会議終了と同時に同僚のスマチョウにいつも聞きに行った。

ゲンタ「さっきの会議の内容は何だったんだ?」

スマチョウ「生徒のテストの結果を10㌫向上させるためには我々はどうするべきか?という内容だ」

ゲンタ「なるほど。で、結論は何だったんだ?」

スマチョウ「ハードワークだ」

(別の日)

ゲンタ「さっきの会議の内容は何だったんだ?」

スマチョウ「エチオピアの教育の質を上げるためにはどうすべきか?という内容だ」

ゲンタ「なるほど。で、結論は何だったんだ?」

スマチョウ「ハードワークだ」

これが5日間続いた・・・。

4日目の同じような内容を話し合っていた時、痺れを切らした私は(と言っても会議中ずっと自分の勉強をしていて話を聞いていないのだが・・・)、一言言ってやった。

「学校をきれいにしよう。教室がきれいなら生徒の意識もテストの結果も共に上がっていくだろう!!だからみんなで学校をきれいにしようではないか!!」

カルロス・ゴーンが日産を立てなおした本を今まさに読んでいる私は、完全に経営者気取りで発言していた。
自分でもかっこつけすぎたかと思ったが、150人あまりの先生たちは、大興奮し割れんばかりの大拍手をしていた。

「ゲンタ、お前の考えはもっともだ!!」
「お前の意見は全ての先生が受け入れた」
「みんなで学校をきれいにしよう」

とは言っていたものの、何もしない可能性は大いに高いので、何としても口だけで終わらないように私が主体になり行動していきたい。

ふと教室がきれいな生徒と教室が汚い生徒のテストの結果の変化(前年度と実験後)を見比べて教室環境がおよぼすテスト結果への影響というタイトルで卒業論文を書いたらおもしろいのではないかと変なことを考えていた。
ま、絶対にしませんけどね。

また、最近は別れがたくさんあった時期だった。

エチオピアに来て最もお世話になった隊次である21年度2次隊の3人(さるさん、わかさん、マサカズさん)がもうすぐ日本に帰国。

一年間同じコンパウンドで生活していた私の教育係り的なおばちゃん、トグゥスト、その子どもたち、ミタ、サムエルは仕事の関係でバハルダールに。

同じ体育教師で同じ年齢でサッカーをよく一緒にし最も仲の良かったアビィは、社会人チームでエチオピアチャンピオンになり今年度からナショナルリーグ(プロ2部)に昇格したため、先生を辞めプロサッカー選手に。

We are the World FCの絶対的エースであったソロモンは親父の家で暮らすことになり、バハルダールへ。ただ、別れの時彼は私に言ってくれた。
「将来はサッカー選手になる」と。
将来の夢はと聞いても、ほとんどの子どもたちがドクターかエンジニアと答える中、この答えは私のテンションとモチベーションをものすごく上げてくれた。

人生は出会いの数だけ別れがあり、別れの数だけ出会いがある。
彼らとはしばしの別れになるが、我が家には新たな出会いであるタマスガン君が・・・。
家に帰って彼の顔を見るのが最近の楽しみの一つである。

http://worldreporter.jica.go.jp/j22-1isibe/cat1/001111.php
こっちのブログも、もしよければ!!

若さん(写真中央)には、よく怒られたけど、天ぷらや焼き肉パーティーをしいただいたり、そして何より標高5000m以上の所では、歌ったり叫んだりしてはいけないことを教えていただきました。
本当に2年間お疲れ様でした。そしてありがとうございました。
d0178633_4195970.jpg


マサカズの兄貴(写真中央)には、本当にお世話になった。もっともお世話になった先輩隊員と言っても過言ではない。この人がいてくれたから体育隊員として協力してセミナーができたと思うし、何よりも私の一つの目標であったサッカーリーグが開催ができたのもこの人のおかげだった。
本当に2年間お疲れ様でした。そしてありがとう!!絶対熊本に行きます。
d0178633_424886.jpg


さるさん(写真の変な顔の人)には、人生の生き方を教えてもらった。この人がいてくれたから、キリマンも南部旅行もラスダシェンも本当に楽しめた。「自分で全部すれば誰にも文句言われないでしょ」この言葉は最高にかっこよかったっす。さるさんがまだまだチャレンジしているのだから、僕ももっともっと追い込んでいきますよ!!
本当に2年間お疲れ様でした。そしてありがとうございました!!ロンドン遊びに行きますね!!金が貯まれば・・・。
d0178633_4281020.jpg


3人に送ります。最近写真を勉強してる僕からのベストショット!!
d0178633_436758.jpg

[PR]

by genta_ishibe87 | 2011-09-24 04:37  

Midnight Express⑤

「最終話 ナイロビを満喫する」
午前6時半、私はナイロビの町をさまよっていた。
ケニア旅行ラスト1日と半日ということで、この日は唯一日本人と接することができる日であった(当初の予定では)。

NTC時代の友であるユーヘイを中心に、ケニアで働く日本人が毎週行っているというサッカーに参加さしてもらうことになっていた。

まず、ナイロビの中心街からJICA御用達のチャーリーというタクシードライバーを呼びよせ、ドミトリーまで行くことに。ケニア一日目にもチャーリーのタクシーに乗せてもらっていたため、チャーリーの顔は把握していた。
しかし、いくら待ってもチャーリーは来ない・・・。

「さすがに6時半は早すぎたか・・・。」
と思っていたその時!!!
一本の電話が入り、側にいるということがわかった。

助かったと思い、それらしきタクシーに近寄ったが、チャーリーではない。
あたりを見回しても、チャーリーがいる気配がなかったので、改めて電話しようとしたその時!!

ドライバー「おい!!俺はチャーリーの手下だ!!知ってるだろ!!早く乗れ!!」

ゲンタ「知るか!!そんなもん!!」と言いながら、タクシーに乗った。


さて、完全に今のは余談であったが、ケニアのサッカーを体験してきた。
日本人のコミュニティーでサッカーができるっていうのも、すごいと思っていたが、できるだけでなくみんなかなり上手かった。
なぜサッカーができる日本人がこんなにケニアに集まっているのか不思議で仕方なかった・・・。

そのサッカーには、二人のケニア人が混じっていた。「ケニア人と一緒にサッカーをする」ということをこの旅の目標にしていたため、一緒にできてよかったのだが、一人のケニア人は元プロ選手だったらしいという情報を得た。
しかし、いつもは日本人をなめて本気でプレーしないという情報も同時に得た。

ということで、絶対に本気を出さしてやろうと勝手に一人熱くなっていた私は、そのボブマーリンのような元プロを徹底的にマークすることに。
日本に帰ったら社会人兵庫県一部リーグで現役復帰を企んでいる私は、正直バリバリ動けていた。そんな私のいやらしいマークに、ボブは完全にイライラしていた。

「ダハハハハハ、ざまあみろ!!元プロ!!兵庫県一部のレベルをなめるなよ!!」と思っていたその時、

顔面に当たったら絶対に気絶するかのような弾丸シュートを決められた・・・。

試合後、一応そいつに言っておいた、

「やるやん」と・・・。


サッカーが終わった後、一度ドミに帰った後はまさかの午後からバスケットボールに・・・。
ケニア隊員の充実しすぎているスポーツの機会に感謝しながら、バスケットもとことん楽しんだ。

久しぶりに一日中スポーツをし、ドミに帰ったら、一人の男が迷い込んでいた。

私が一人旅をしようと思ったきっかけの人物である、エチオピア隊員の松岡リーダー(40)だった・・・。

「任国外旅行ぐらいは全部一人でしようと思いまして・・・。」

とかっこよく言っていたリーダーだったが、ケニア旅行一日目にして完全に日本人に頼っていた。

結局、その後リーダーと晩飯を食いに行き、私の影ながらにして一番の楽しみでもあったカ○ノにも一緒に行った。

ギャンブルが全く好きでない私がカジ○にどうしても行きたかったというと理由は3つある。

1.何事も勝負ごとは絶対に勝つという理論のもと、自分の勝負強さを試す。
2.将来、人に何かを教える立場になったときの話題を作る。
3.橋本府知事の気持ちを知る。

という3つの裏には、ただ単に「カジ○に行ってきたぞ、とみんなに言いたかった」という思いも含まれている。

しかし、ギャンブルは基本的にはしない私だが、カジノの魅力を知ってしまった。なぜ、カジノが儲けを出し、人を惹きつけるのか。

「勝てば嬉しいし、負ければ悔しい」

人の心理というものはこういうことなんだと感じた。
「勝てば嬉しいし、負ければ悔しい」だからまたやる。
スポーツも同じことが言えるのではないだろうか。単純に勝てば嬉しいからまた勝ちたい。負ければ悔しいから次は勝ちたい。だから多くの人が心を奪われ、一生懸命になり、感動が生まれ続けるのだろう・・・。

そんなことを考えていたケニアの最後の夜は、気がつけば夜中の3時だった・・・。


ただ、ちゃっかり勝ったけどね!!


あとがき
長々と好評でもない連載ブログ小説「Midnight Express」を読んでいただき、ありがとうございます。なぜ、このような小説風にしたかといいますと映画「南極料理人」を最近観まして、「これはいけるんじゃないかな」とものすごい甘い考えが私の中に芽生えたからです。ぜひ「南極料理人」を観て、私が何を言いたかったか悟ってください。
ただ、ケニアは間違いないですよ!!

元プロを徹底的にマークする石部隊員
d0178633_0331128.jpg


元プロは確かに上手かった・・・。
d0178633_035546.jpg


スポーツ万能かつ大好きなケニアで働く日本人のみなさん
d0178633_0372580.jpg


最後の晩餐はこれでしょう!!
d0178633_0395100.jpg


飛行機の時間がギリギリだっただが、どうしても食いたかったので食べに行ったケーキ
d0178633_0404150.jpg

[PR]

by genta_ishibe87 | 2011-09-16 00:42  

Midnight Express④

「第4話 ツァボ→ワタム→マリンディー→モンバサの旅」
まさかの深夜特急がモンバサまで行かなかったため、貴重な一日を失った私は、ケニアの○山隊員の協力により、急遽予定を変更し、人生初のサファリツアーに行くことに!!

ケニアの○山隊員とまーさんとまっちゃんと4人で「ツァボイースト」に行ってきた。
犬も猫も絶対に触りたくないぐらい動物嫌いな私だが、ケニアの本物の野生の動物たちを前にして、興奮しないわけにはいかなかった。
ライオン、ヒョウ、キリン、ゾウ、バッファロー、シマウマ、鹿系の動物、鹿系の小動物などなど。

野生の中で必死に生きている動物たちを見て、何かを感じようとしたが、興奮し続けてしまっていたため、何かを感じることを忘れてしまっていた・・・。

午後は、MISIAがPV撮影で使ったといわれているムダンダロックに行ってきた。
あまりの景色の良さに、アフリカを肌で感じることができた。

そして、そこから私の怒涛の日程がスタートした。
次の日にワタムの海に行き、高級リゾート地(自分では高級リゾートと思っていたが、全くそうではなかった)に泊まり、人生初の沖まで歩いていけるという海に入り、一人シュノーケリングをした。
しかし、常にみんなといることを好む私にとっては、一人の海は少しつまらないかなと思うかなと思っていたが、全くもってそんなことはなかった。
一人だが、そこには現地のケニアのおっちゃんや、ビーチでサッカーをしている少年たち、そして、純粋にサッカーを教えてくれと言ってくる少年もいる(ただ、その少年は最後に「ボールを買ってくれ」とお決まりの台詞を忘れなかったが・・・)。
一人のようで一人でなかった。

次の日の早朝、朝日を撮影しようと海岸に出た。
すると、そこには一人のイタリア人の女の子が朝日をじっと見つめていた。
大学2年の時、イタリア人がシェフのイタリアンレストランでバイトをしていた私は、並みの日本人より、イタリア語が話せるため、全く用はなかったが彼女に話しかけた。

「絶対にイタリアに旅に行こう」

とその瞬間思った。
その日は、別に好きでも嫌いでもないヘビ園に行き、マリンディーの海に行き、ボロ宿にチェックインしに行った。

そこで現れたのは、またもやモリゾーだった。

完全一人旅だったはずだが、なぜか日本人を引き付けていた。

「マジ、マグネットだし(日本人を引き付けると言う意味)!!」

とミツル姉さんが言っていたのを思い出した。
結局、その後モリゾーを海に行き、夜はマリンディーの隊員とモリゾーが一緒に飯を食うということで、JOINさしてもらった。

その次の日は、別に好きでも嫌いでもないワニ園に行き、モンバサの海に行き、昨日のモリゾーの流れのまま、○山隊員とモンバサの隊員であるみどりちゃんが晩御飯に誘ってくれたため、JOINさしてもらった。

結局、「ケニア旅行~一人で行かなきゃ意味ないじゃん~」の旅は残すところ一日と半日になったのだが、この日までに日本人と絡まなかった日は0日だった・・・。


あえてのシマウマの写真公開
d0178633_15345341.jpg


ムダンダロック
d0178633_15361770.jpg


1人でも海を満喫できる男
d0178633_1537201.jpg


どこでもサッカー
d0178633_15383943.jpg


趣味がない私はこの旅からカメラを趣味に・・・
しかし、この旅一番の写真は結局オートマ・・・。
d0178633_15393870.jpg


夕日と思いきや、朝日の写真
d0178633_1544055.jpg

[PR]

by genta_ishibe87 | 2011-09-09 15:44  

Midnight Express③

「第3話 ナイロビ→モンバサへ ~乗り物の旅~」
ケニアの目的の一つとして、ある乗り物に乗ることがあった(訳あって、何の乗り物かは言えないので、各自想像してください)。

ケニア3日目、朝からそれ程好きでもないのだが、ゾウの孤児院に行き、ケニアの動物保護の現状を学んだ後、エチオピアで知り合ったある日本人の方がケニアに忘れたというフィルムを取りに行くことになっていた。

なぜ、このような頼まれごとを引き受けたかというと、これも「深夜特急」の影響で、当時の沢木耕太郎は友人に海外の知り合いに会ってきてほしいと言われ、それをミッションとし、苦労しながら人探しをするというのが小説の中にあった。

何事にも影響される私のため、エチオピアでこの頼まれごとを聞いた時、「これは一人旅のミッションだ」と思い、喜んで引き受けることに。
おそらくケニアで、その人が忘れたと言われるフィルムを取りに行くのは、右も左もわからない私にとって、かなり苦労するだろうと思っていた。

が、しかし右も左も知り尽くしたタクシーの運転手が簡単に連れていってくれたため、何も苦労しないで任務を達成してしまった。一瞬だった。


そして、ついに目的の一つの乗り物に乗ることに・・・。
が、しかし予定時刻の午後××時になっても、その乗り物はやってこない。

「まぁ、ケニアタイムだろう」
とホームで待つこと、4時間半、その乗り物はやってきた。

「ようやく出発だ」
とテンションがあがって待つこと、2時間、予定時刻から5時間半遅れでその乗り物は出発した。

同じ寝どころになったポーランド人のポールに話しかけた。

ゲンタ「ベッド上か下かどっちが良い?」

ポール「下に決まってるだろ!!」

(このデブ!どついたろか)と思ったが、これが欧米人の自己主張なのだと思い、見習おうと思い、どつきはしなかった。

そして、この乗り物は度肝を抜くぐらい遅かった。
窓から景色を見ていた私だが、途中走って追いかけてくる子どもと同じスピードだったことを知っているのはおそらく私だけではないだろう・・・。

そして、乗り物に乗ること16時間半(この時点で完全予定が狂っていた)、目的地のモンバサに着いたと思ったら、そこはモンバサから20kmほど離れた田舎町だった。

マネージャー「お客様、大変申し訳ございません。この乗り物は、本日はここまでです。理由は整備不良です。そのため、この乗り物は今からナイロビに折り返します。モンバサまではバスを手配しますので、外に出てお待ちください」

「後20kmぐらい絶対何とかなるだろう!!」と思ったのは、おそらくそこにいた全員だろう。

そしてマネージャーはバスを手配すると言ったが、何もない田舎町で降ろされた欧米人300人余りのバスを手配することは不可能であり、タチの悪い欧米人に文句を言われているマネージャーは少し可哀そうだった。

私も車体から降り、欧米人がマネージャーにどのような文句を言っているのをリスニングしようと近づいていった時(常に学ぶ意識を忘れない石部隊員)、あるケニア隊員に会った。

彼の名前はモリゾー。私の隊次の一つ遅れの環境教育隊員だった。
彼も一人旅をしているらしく、今からモンバサに行くことになっていた。
(後に彼は私の一人旅のキーマンとなる)

ケニアの現状を知っている彼と協力し、ピキピキと呼ばれる乗り物に乗ってミニバスが拾える場所まで行った。
そして、彼はそのままモンバサに行き、私は少しナイロビ方面に折り返したところにあるボイとういう町に向かった。

そう、ケニア一人旅、最初のハプニングにより、丸一日つぶれてしまった私は急遽予定を変更しボイに向かうことになったのだ。

このハプニングに助けの手を差しのばしてくれたのがケニア隊員の○山隊員だった。

次回「初サファリfeat...○山隊員」

ミッション達成
d0178633_5153527.jpg


乗り物のベッドにて・・・。
d0178633_5174438.jpg


これぞ、バオバブの木
d0178633_5195290.jpg


子どもの遊びはケニアでも同じ。ただ、少しクオリティーが上!!
d0178633_523370.jpg

[PR]

by genta_ishibe87 | 2011-09-03 05:25  

Midnight Express②

ケニア2日目、朝から前日に出会った、研究者のミツルさんと妹のアキコさんに、スラム街に連れて行ってもらうことになり行ってきた。

感想から言うと、衝撃だった・・・。

スラム街の町並みや家などは、エチオピアにも見られる傾向の雰囲気だったが、違って点として、ゴミ山があった。フィリピンのゴミ山などは映像で見たことがあるが、ここスラム街にもゴミが山になるぐらい落ちていた。
アキコさんが言うには、ここに落ちているゴミは、人々が使えるものをもっていって、さらに残った本当に使えないゴミらしい。

そして、このゴミ山の周辺はすごい臭いだった。

ここで人が生活ができるのかと思うくらいの臭いだったが、実際にここで人は生活しているのだ。これが、ケニアの現実だった。

しかし、街を歩いていて、正直危ないという印象は全くなかった。

スラム街=危険というイメージがあったが、そのイメージは間違いだったのかなと思い始めていたが、いろいろな話を聞いていれば、やはりこういう地域では金がらみの殺人がたびたびおこるらしい・・・。

だが、ここの人たちは本当に一生懸命働いていた。たった一日しか見ていないから、あまり確かな情報ではないが、日曜日というのに、みんな一生懸命働いている印象を持った。

ここがスラム街なのかと思ってスラム街を出た。

しかし、本当の衝撃はこの後だった。

スラム街から出て5分歩いたところにショッピングモールがあった。
入ってみた。日本並みだった。おそらくアフリカでトップクラスだろう。そして考えた。

一方はゴミ山の側で必死に生活をし、一方はおしゃれな格好をし、高い買い物をし、車に乗って移動するという生活をしている。

同じケニア人なのにこの差は一体なんなんだ・・・。

スラム街を見た後にこのショッピングモールを見て、全てのことに対してよくわからなくなった。

ここナイロビでも外国の団体がスラム街の人たちを住ませるためのマンションを作ったりして、少しでもスラム街の人を救おうと行動している。

しかし、このマンションが原因でさらなる揉め事が起こっているのも事実である。
いかに、「国際協力」が難しいものかを物語っている。

先進国の人が「かわいそう」と思っていても、途上国の人は全くもって「辛い」と思っていないのかもしれない。それ以上に何の不安もないのかもしれない。
彼らの気持ちは彼らにしかわからない。
外見だけを見て全てを判断するのは、かなり難しいにもかかわらず、外国のボランティア団体にいったい何がわからというのだろうか?
「彼らのために」を思って行動しているのだが、本当の「彼らのため」とはいったい何なんだろうか?

要するに、「自分の目を持つ」ことが最も大切な要素の一つで、「国際協力」については学び続けなければいけない

最後に、ケニアのスラム街を歩いたが「お金をくれ」と言われた回数・・・0回


ゴミのが大量に残ったメニュー
d0178633_5464245.jpg


スラム街から出て5分後にはこの光景。ますますわからない・・・。
d0178633_5482424.jpg


このパン屋のクオリティーの高さ!!感動です!!
d0178633_550088.jpg


このケーキ屋のクオリティーの高さ!!感動です!!
d0178633_551150.jpg


子どもはどこに行ってもかわいい!!これは間違いない!!
d0178633_5522016.jpg


ケニアプレミアリーグを観戦。
まさかの人工芝。そして、アフリカンパワーを思い起こさせるプレー。
なぜか、コーチと硬い握手をし、写真撮影。
d0178633_5533631.jpg

[PR]

by genta_ishibe87 | 2011-09-01 05:55