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Stimulus

現在、エチオピアの学校期間は雨季休みに入っている。そのため学校隊員である私も現在は任地ドルベテでの活動は休み中である。
この雨季期間を充実させるため、首都アジスアベバでしかできないことをやろうと思っている。

エチオピアに来てちょうど1年経過したため、少しマンネリ化してくるように思われるが、私のエチオピア人生はその言葉とは皆無だ。
毎日が本当に刺激の連続である。

今回、刺激を受けたのは同期隊員の雙田茂樹隊員のおかげだ。シゲキの名を持つ雙田隊員の活動を2日連続で見てきた。

雙田隊員はアジスアベバの体育隊員なのだが、自分の活動プラスいろいろな施設や場所で自分のできることを行っている。
雙田隊員の一日につき合わせてもらうことになった。

朝、5時20分に起床し、マルカートという首都の中でも「やんちゃ」なイメージが強い場所を訪れた。
そこには、私が今までに見たことのない光景があった。

子どもたちが固まって道で寝ているのだ。

そう、彼らはストリートチルドレンと呼ばれる子どもたちで、雨季のこの時期に雨にあたらないアスファルトの上で仲間で固まりながら(固まることによって寒くない)寝ているのだ。
寒さを防ぐため、いろいろなものを巻きつけたり被ったりしながら寝ている。
中には野犬と一緒になって寝ている子どもいる。

かなりショックだった。

私はこの1年エチオピアに住んでいて、今のこの時代「飢餓や貧困で死ぬ子どもたちはほとんどいないのではないか」と思っていた。しかし、それは田舎町での話であって、ここアジスアベバでは、路上の寒さの中で寝ている子どもたちがいた。厳しすぎる現実があった。

その中、雙田隊員が一人の牧師さんを紹介してくれた。
彼は、ストリートチルドレンを集めて、犯罪やタバコなどから彼らを遠ざけるためサッカーチームを編成し教えている。雙田隊員はそのサッカー部を手伝っている。また、その牧師さんは何人かのストリートチルドレンを自分の家で面倒を見て、靴磨き屋として仕事をする機会も与えている。
彼の話を聞いていて、「子どもたちを救いたい」という思いが伝わってきた。
雙田隊員と私とその牧師で話をしている時、彼の目がだんだんと赤くなっているのがわかった。
彼は一人でも多くの子どもを自立させ、生きていってもらうために、家に住み込ませたり、靴磨きの道具を貸したりしている。

しかし、彼自身も収入はあまりよくないため、住み込ませる子どもたちにも限界はある。
彼は自分のできる限界のレベルで子どもたちを救おうとしていた。

エチオピア、特にアジスアベバでは子どもから大人、老人、障害を持った人まであらゆる人が物乞いをしている。

「Give me money」

道行く人にお金もらおうと必死になって声をかけてくる。
本当にお金がなくて食べるものもないという人もいれば、物乞いを商売にして生きている人、挨拶のように言ってくる人もいる。

つい先日、パンを大量に買って、路上で物乞いをする人々にパンを配って歩いているおばちゃんを見た。

私もエチオピアに来てから何百何千回と「金をくれ」と言われてきた。
しかし、1年間でお金をあげたことは一回もない。

理由ははっきり言って、わからなくなってきている。
初めは、
「一人の人に一回ほんの少しのお金をあげたところで、エチオピアで物乞いをしている人全員にそれが出来る訳ではないのだからあげても意味はない。それならば上げない方がいい」
「魚を与えるよりも、魚の釣り方を教えなければ状況は変わらないという言葉の通り、お金を得る方法を教えなければ何も変わらない」

といった理由を持っていた。
しかし、この牧師やパンを配っているおばちゃんを見ていて、これらはただのきれい事もしくは言い訳のように感じてきた。
来エチ当初は、「このような人たちのために何かできないだろうか」と金をくれと言われる度に考えていた。
しかし、時が経つにつれていろいろなことを知り、いろいろな人を見ることによって、無関心になりつつある自分がいた。

彼らを見ていて思った。無関心ほど最低なことない。
だからといって、物乞いの人全員に私がお金をあげることや食べ物をあげることは間違いなくできない。
私がこの先、一人の人にお金をあげることもあるかどうかもわからない。

ただ、無関心にだけは絶対にならない。

「イグゼーイエステェリン(神にご加護を)」

という言葉がエチオピアにはある。物乞いをする人に対してよく言う言葉なのだが、この言葉をただ単に言うのと、本当に心を込めて言うのだけでも私は大きく違うのではないかと思う。特別な宗教を持っているわけでも何でもないが、要するに願うか願わないかの違いだ。
今はまだ、私が本当に困っている人たちのためにできることが何なのかわからない。
適当な行動をして逆効果になることも大いにある。
「私にできることは何もない」という結論にたどりつくことも大いにある。

ただ今言えることは、本当に心からこの言葉を言うことと無関心には絶対にならないということだ。


刺激を得る機会を与えてくれた雙田茂樹隊員のサッカー部
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刺激隊員のインターナショナルクラブ
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by genta_ishibe87 | 2011-07-30 15:59  

America

お久しぶりです!!
なでしこJAPAN本当におめでとうございます!!
結果がわかっていながらYoutubeを見ても、感動してしまいました。
準決勝は首都にいたため、テレビで観戦していたにもかかわらず、決勝はゴンダールという場所に行っていたため、歴史的瞬間を見逃してしまったゲンタです。

なぜ、私がゴンダールにいたかというと、私も大きくアメリカに関わっていたのです。
私には隣の家に住む、ケイトというアメリカのボランティア団体PEACE CORPSの友達がいる。
およそ、2ヶ月前、彼女から「ピースコーで今度、エチオピア人の高校生を対象にキャンプをする」という情報を聞いた。

「キャンプ」という言葉を聞いて、ただただ興味を持った私は即座に答えていた。

「俺も参加させてくれないか?」

なんと図々しいのだろう・・・。
自分でも後から思うとよく言ったものだと思う。
しかし、神がかった心の広さを持つケイトは言った、

「Of course!!」

ということで、一人でピースコーのプロジェクトであるキャンプに参加してきた。

目的は3つ
①1週間アメリカ人とがっつり関わって英語力を伸ばす
②アメリカのボランティア団体のプロジェクトを視察する(後付け)
③このキャンプからボランティアとは何かを考える(後付け)

という、ほぼ英語を伸ばしたいという意欲だけで「行きたい」といい、新たな目標を付け加え、乗り込んでいった。


目標の①の結果
いや、私は完全に舐めていた。ネイティブの英語を舐めていた。
サッカーを始めて1年目の男が、いきなりバルセロナの練習に参加してついていけるはずがなかった。
そうです!!結果的に言えば・・・、

皆無です!!

全くわかりませんでした。
初日、この一年それなりに勉強してきて、エチオピア人との英語の会話にもさほど困らなくなっていた私だったが、世界を知らなさすぎた。
しかし、私はあきらめなかった。
「できないこと」を恥ずかしいと思わず、積極的に話しに行くことを心に決め、チャレンジし続けた。
そして、1週間で私は一つの自信を掴んだ。
この1週間で新たな単語や口語的用法は何ひとつ成長していないが、

「アハァ~ン♡」

というアメリカ人特有の相槌だけは自然と出るようになっていた。


目的②の結果
ピースコーのこのキャンプは、個人的にかなりおもしろいと思える内容のものだった。

「アムハラ・キャンプGLOW2011」

というタイトルのキャンプなのだが、
G:Girls
L:Leading
O:Our
W:World
という意味で、目的として、エチオピア人女性がこれからの社会でリーダーシップを発揮して活躍していくために、リーダーシップについて、環境面について、エチオピアにおける健康面や病気について、仕事面について、そしてジェンダーについて学ぶ場を与えるというものだった。
対象者として、それぞれのピースコーボランティアが派遣されている地域からエッセイコンテストで選ばれた高校生の女の子が計46名集まっていた。

内容としてはリーダーシップの要素について考えたり、HIV/AIDSや避妊の仕方についての知識を学ぶ場や実際に農作物を育てている場に行き見学する場、社会で活躍しているエチオピア人女性の話を聞く場、そしてジェンダーについて考える場などがあった。

この1週間彼女たちの取り組みを見ていて、このプログラムがもたらす影響力というものをすごく感じることができた。

「学ぶ」の語源は「真似ぶ」と私の恩師は言っていた。
ピースコーが行った今回のキャンププロジェクトから「良いな」と思う点を盗み、3ヶ月後に行われるJAPAN FESTIVALに活かしていきたいと思った。

目的③の結果
ピースコーが行ったこのキャンプは莫大な資金援助があり、かなり大きなプログラムであった。
キャンプに参加する前は「莫大な金を使って、キャンプをする意味があるのか?」という疑いの目があった。しかし、一緒に1週間このキャンプに参加してみて、彼女たちの驚くべき成長を目の当たりにすることができた。
確実に彼女たちの知識や技術、考え方は成長していたし、生徒一人一人に対して大きな希望と可能性を感じた。

ボランティアとして何ができるかとよく考えるが、国や州などの大きい場に小さい影響を与えるのも、我々の仕事なのかもしれない。しかし、子どもたち一人一人に限りない大きな影響を与えることは、未来のエチオピアのことを考えるととてつもなく大切なことなのだと感じた。

要するにピースコーのプロジェクトは、ねずみこうと言われている私が中間報告会で発表した「セルJr.プロジェクト2011」のセルJr.を作っているのだと勝手ながら解釈した。


最後に、勝手に無理を言って参加さしていただいたにも関わらず、カウンセラーとして、メンバーとして扱っていただき、1週間分の食事及び部屋の確保、さらにはスポーツを指導を行うというセッションまで私に持たせていただいたピースコーの皆様本当に1週間ありがとうございました。
この場を借りて感謝したいと思います。


ドルベテメンバー
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ピースコーメンバー
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ゲンタを探せ
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一時、ボランティアの中で流行った「セルjr.プロジェクト2011」の模様
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by genta_ishibe87 | 2011-07-24 06:09  

Enthusiasm

首都に上がってきて、飯が旨すぎることと、シャワーの簡単さに大興奮しているゲンタです。

かわいすぎるタマスガンが産まれた翌日、我らがWe are the World FCの最終戦、vsバハルダール(アムハラ州プレミアリーグ2011第6節)が、バハルダールのスタジアムにて開催された。

この試合に勝った方が、この年のチャンピオンとなるため、両チームとも絶対に負けられない戦いであった。

結果は前半、3-3と五分の試合をしていたにも関わらず、最後の最後で集中が切れてまい、3-5と我々We are the World FCは敗れてしまった。

どうしても勝ちたかっただけに悔しすぎる敗戦だった。
それは、選手たちも同じで、3ヶ月前、試合に負けても「問題ない、問題ない」「気にするな、気にするな」としか言わなかった彼らが、真剣に落ち込んでいた。
この悔しさをバネにもっと成長していこうと誓った。

そして、この試合をみていて、私は一つの確信を持った。
サッカーに限らず、スポーツ全般に言えることだと思うが、本気で勝つか負けるかの戦いをしている時に、心の奥底から出てくる奮えがある。
自分の意思とは関係なく、自然と「ウォー!!」だが「ヨッシャー!!」だが叫んで、何らかのガッツポーズをしている自分がいる。W杯などでよく見られる場面だが、要するに「感動」と「興奮」の瞬間である。
この瞬間があるから、私はずっとサッカーをしてきたし、これからもずっとサッカーに関わっていくのだろうと確信した。

そして、この瞬間を選手たちに、もっともっと感じて欲しい。そのためには、もっと厳しい練習もしなければいけないし、チーム間の関係も深いものしていかなければいけないと思う。そうすることによって、その瞬間というものは大きくなるのではないかと思う。

できるだけ、多くの子どもたちにこの瞬間を感じて欲しい。
道端で、家の前で、石をゴール代わりにしてコンドームボールを蹴るのも良いだろう。しかし、私にはこの町で子どもたちにサッカーをする機会を与えることができる。
私ができること、しなければいけないこと、したいこと、その答えが「できるだけ多くの子どもたちにサッカーをする機会を与える」ということであり、私の活動なのだと感じた。

と一年の終わりに一つの答えを出した石部隊員であった。
来シーズのドルベテに注目です!!


アムハラ州プレミアリーグ2011最終節
バハルダール高校vsWe are the World FC
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ユニホームはメイドインエリティン
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エチオピアの幼稚園の卒園式
私立の幼稚園の子どもは、掛け算、割り算、3桁の計算ができるという勉強量
この教育が果たして良いのかどうか・・・。
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by genta_ishibe87 | 2011-07-04 22:12  

Mother

およそ、2ヶ月前、大家の奥さんのカスが妊娠していることを知った。
同じ敷地で、毎日顔を合わし、家族の一員として私のことを優しくかつ厳しく接してくれていたカスだが、出産1ヶ月前になるまで私はカスが妊娠していることを知らなかった。

なぜなら、カスは私がこの家に来たときからかなりの太っていたため、お腹が大きくなっても私は全く気づかなかったのだ。

そんな、カスの出産予定日はおよそ3週間前だった。
しかし、1週間過ぎても、2週間過ぎても赤ちゃんは産まれてくる気配はない。

私は、エチオピアに1年住んでみて、エチオピアのことを少しばかり知っていたため、
「まぁ、医者もアバウトな感じで5月下旬から6月上旬に産まれると言ったのだろう」
とそのように考えていた。

しかし、3週間が経ち、ちょっと遅すぎないかと思っていた矢先、大家のアタレが、

「ゲンタ、明日バハルダールの大きい病院でカスを見てもらうから、朝からちょっと行ってくるな。」

と言われた。そう私の住む任地ドルベテには病院はない。ヘルスセンターというものはあるのだが、医者はいないという状況。
しかし、バハルダールに行くとなるとやはり、ちょっと危険な状態なのかなと思い出した。

そんな、心配をしていた次の日の朝、長男のナティが嬉しそうに言ってきた。

「ゲンタ、カスがヘルスセンターに行った。ついに産まれるぞ!!」

私は一安心し、そして私もすぐさまヘルスセンターに駆けつけた。
駆けつけたが、まだ産まれる気配がなかったため、クラブの練習に行き、指導をし終えてまた戻ってきた。しかし、まだ産まれる気配はない。

かなりの長期戦になっていた。家族全員でサポートし、産まれるのを待つ。

一度家に戻り待機していたが、アタレの携帯がなり、私とアタレはダッシュでかけつけた。
ついに産まれるのか!?と思ってワクワクしながら駆けつけた。
しかし、周りの様子が慌ただし過ぎる。一緒のコンパウンドに住むトゥグストが泣いていた。私は状況がつかめないでいた。

するとアタレが、

「ゲンタ、ちょっとバハルダールの病院に行かなければいけなくなった。」

と言いながら、ミニバスを呼びに行った。かなり危険な状態だということが聞かなくてもわかった。エチオピアに救急車などなく、ミニバスを貸切りヘルスセンターまで来てもらっていた。ドルベテからバハルまではおよそ1時間。自然と不安な気持ちが立ち込める。

この時、まず発展させないといけないのは医療機関だろと真剣に思った。

「頼むから無事でいてくれ」

誰もが心からそう思っていただろう。

その時、「アーアー」

小さな小さな産声が聞こえた。

奇跡が起こった。自然と涙が出てきた。

一つの「生命」の誕生であった。

良かった。本当に良かった。無事アタレ家に3番目の男の子が誕生したのだ。



カスが命がけで出産している姿を見て、命の重みというものを本当に感じた。
命は絶対に大切にしなければいけない。
命は自分だけのものではない。
だから、絶対に自ら命を捨てるようなことはしてはいけないし、そのような環境を作ってはいけない。
母親が命をかけて生んでくれたのだから。

とそんなことを考えながら、「お母さん、ありがとう」と真剣に思った。


ただ、2時間後、カスとタマスガン(赤ちゃん)は我が家に帰ってきて、カスはがっつりコーヒーを飲んでいた。
恐るべきエチオピアンコーヒー魂・・・。

かわいすぎるタマスガンくん 30分歳
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尊敬するエチオピア人のうちの一人アタレ。ただただ待つ…。
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日本人の90㌫以上が嫌いという出産後に食べる伝統的食べ物 ガンフォ。
これを旨いと思うようになってしまった私はもはや食べ物に関しては最強!!
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by genta_ishibe87 | 2011-07-01 16:27