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2011年も終わりに差し掛かり、最近よく考えることがある。

「ボランティアとは何か!?」

最近といわずエチオピアに来てからずっと考えていることなのだが、考えれば考えるほど考えさせられる。

私は、協力隊に参加した理由として、「途上国の人のために何かしたい」ということが理由の一つにあった。
しかし、エチオピアに来て活動しているうちに、「エチオピアの人のために」ではない気がしてきて、99%以上「自分のため」やんという思いになっていた。
エチオピアで出会うボランティアのプロ(JICA職員やJICAの専門家)で地位も名誉も金も手に入れたすごい人たちは口をそろえて言う。

「人のためにやっていると思っていたらアカンよ。自分のためにやってるんやから」

こういう言葉を聞くと「確かにそうかな」と納得させられる。

しかし、いつも何か引っかかっている私がいた。

「ボランティア」「国のため」「子どものため」「人のため」「途上国の人のため」

「○○のため」と言えば、「偽善」な感じがする人も少なくないでしょう。

ボランティアのプロたちは果たして、100%「自分のため」と思って働いているのだろうか?
世間からの見られ方を気にしてはいないだろうか?

私も活動をしていく中で、「自分のためにやっている」という思いになるようになっていた。「自分のため」になっているということは結局「エチオピアの子どものために」にもなっているのだろう、と考えるようになっていた。


しかし、最近「○○のために」って思って働くことがやっぱり大切なんではないかなと思い出している。
この気持ちがあるからこそ、人は全力を尽くせるし、働くことができるのではないかなと思う。
特に日本人はこの気持ちが優れて強いと思う。
日本が戦後発展したのも、この気持ちを一つの理由としてあげてもおかしくない気がする。


大学一年の時に一番最初に教えられたこととして、

「チームのために自分のできることを全力でしろ!!」

があった。試合で一番下のカテゴリーでもベンチにも入れなかった私は「一体何をすればいいんだ?」と疑問に思いながら試合を観ていた。
試合後、先輩に怒鳴られた。

「お前、試合中なんか仕事したんか!?ベンチ外の先輩が何していたか知ってるんか!?お前も一緒に戦えや!!」

ベンチ外の先輩たちは全力で水を汲んだり、ボールを拾いに行ったり、試合中の選手に声をかけたりしていた。

「試合に勝つために自分たちのできることを全力でしていた」

もちろん、ベンチ外の選手の水を汲んだり、ボール拾ったりする行為(一度つながった試合があったが)が直接試合の勝利につながることはないが、ベンチ外の選手の行動や気持ちは出ている選手にも伝染することがわかった。

その後、私はポカリを作るのには定評があるぐらい粉ポカリを溶かすのがうまくなった。

完全に話はそれたが、要するに「○○のために」というこの気持ちは大事にしなければいけないと私は現在思っている。
また「○○のために」と思ってやっていることも、結局は「自分のために」になっているのは間違いなく確かである。

「働く」という漢字が「人」のために「動く」というのもあながち間違っていない。


しかし最近、「子どもたちのために、何とかして試合の機会を作りたい」とずっと試行錯誤していたが、ふと気づいた。

「子どもたちのために、試合したいと思っていたが、一番試合に飢えていたのは俺やん!!」

要するに「自分のため」と「人のため」というのは、前に出てきたり後ろに行ったりしているというのが、今の私の答えであり、「ボランティアとは何か?」はまだまだ考え続けなければいけない。


「私が欲しいのはバランスだ」 byアルベルト・ザッケローニ


元同僚のアビィがプロになり試合を観に行った。
レベルは高校生の中の中!!
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あれから2年・・・。早いね!!
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似過ぎでしょ!!
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by genta_ishibe87 | 2011-12-17 05:07  

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